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2013年02月16日

2/18のBS日テレ「夢釣行」で紀州伝来「ビシマ釣り」紹介!

今週の和歌山県関連テレビ番組の追加が1件ありますのでご紹介します。

2/18(月)23:30-24:00 BS日テレの「夢釣行~一魚一会の旅~」
番組は、千葉・房総半島にあるいすみ市でのマダイ釣りですが、番組紹介に『紀州の漁師が伝えた「ビシマ釣り」も登場』と書かれています。

私は『ビシマ釣り』という言葉を初めて聞いたので、ネットで検索してみると、千葉県いすみ市大原や隣の勝浦市で行われている伝統的な鯛釣り漁法で、潮流の速いところで一級品の鯛を釣るのに最適な漁法なのだそうです。何でも、新しい鯛の漁場を求めてやってきた和歌山・雑賀崎の漁師・中井兄弟により、昭和4年にこの地に伝えたものなのだとか。ちなみに「ビシマ」という言葉は房総に来てから言われるようになったのだとのこと。どおりで、和歌山では聞いたことがないはずです。「ビシマ釣り」について詳しくは、下のサイトをご覧ください。
セントマータンの日本鯛釣り紀行:ビシマのルーツ
釣船 つる丸(いすみ市大原港):大原式ビシマ釣り仕掛図
大原港 長福丸(いすみ市):秘伝ビシマ釣り

「ビシマ釣り」という和歌山と千葉とのつながりを発見して、私はちょっとうれしくなりました。房総半島に「白浜」や「勝浦」という地名があることはよく知られています。また、銚子や野田の醤油も和歌山から伝えられたものです。和歌山と千葉は昔から黒潮で深くつながっているのですね。今回の番組は、直接和歌山のことは出てこないとは思いますが、紀州伝来の「ビシマ釣り」を私も見てみたいと思います。ご興味のある方はぜひご覧ください。

また和歌山県関連テレビ番組を発見したら、その都度ご報告いたします。 もしみなさんも和歌山県関連テレビ番組を見つけられたら、コメント欄で報告してください!お待ちしています。

(文責:広報課 林 清仁)   
Posted by 広報ブログ編集長 at 23:07Comments(0)テレビ

2013年02月16日

「陸奥宗光シンポジウム」レポート【2/16 和歌山市】

本日(2/16)、和歌山市のホテルアバローム紀の国で、和歌山県主催(外務省・産経新聞社後援)による「陸奥宗光シンポジウム」が開催されました。
私も会場にお邪魔しましたので、そのレポートを速報でお伝えいたします。

昨年12/1に東京・明治大学で開催された「陸奥宗光シンポジウム」については、このブログでも『陸奥宗光シンポジウム開催!【12/1 東京・明治大学】』でご紹介したところですが、県民の皆さまから「是非地元和歌山でも開催して欲しい」との要望を受けて、和歌山での開催が決定され、本日に至ったのだそうです。

当初は定員を200人程度と考えていたのですが、ふたを開けると申し込みが殺到。650人を超える申し込みがあり、急遽1/30に受付を締め切りました。会場は、開演5分前にはごらんのとおりほぼ満席となっていました。


定刻の午後2時に、仁坂知事の挨拶で、「陸奥宗光シンポジウム」が始まりました。


続いて、元外務省職員で現在は岡崎研究所理事長・所長の岡崎久彦さんによる基調講演が行われました。岡崎さんは昨年の東京でのシンポジウムに引き続いての登場です。岡崎さんは陸奥宗光研究の第一人者です。さらに、岡崎さんの祖父・岡崎邦輔(くにすけ)は元紀州藩士で陸奥宗光の従兄弟でもあることから、このシンポジウムの基調講演には岡崎さんしかいないといっていいでしょう。


東京のシンポジウムで岡崎さんは「話そうと思っていたことの3分の1も話していない」とおっしゃっていましたが、今日は1時間じっくり語ってくださいました。まずは、江戸末期の紀州藩は、将軍家の出身藩と言うこともあり大変に格式が高かったことから話し始められました。そんな中で生まれた陸奥宗光の偉大さについて順に話をされていきます。わずか20歳そこそこで紀州藩の改革に着手、四民平等による徴兵制を元にした日本初の洋式軍隊を設立し、これが日本政府の軍隊に引き継がれたこと、岩倉具視を説得し攘夷から開国へと方針転換させたこと、税制を年貢から地租へと改めさせたこと、自ら日清戦争を仕掛けその後の三国干渉もうまく乗り切ったこと、不平等条約の改正では治外法権の撤廃だけでなく関税自主権の回復も陸奥の条約に明記されていたこと、さらには大正デモクラシーへと引き継がれる近代民主政治の基礎を築いたことなどを次々に紹介してくださいました。このように聞いていると、日本史で習った明治維新前後のトピックスのほとんどすべてに陸奥宗光が関わっているのですね。その偉大さに改めて圧倒されました。


基調講演の後、休憩を挟んでパネルディスカッションです。休憩時間には、多くの来場者が会場後方の陸奥宗光に関するパネル展示を見ていました。


後半のパネルディスカッションは、岡崎久彦さん、仁坂知事、和歌山県立博物館学芸課長の竹中康彦さんの3人により行われました。


まず、仁坂知事が県立博物館が所蔵する「紀伊徳川洋式演武之図」を紹介しました。これは陸奥宗光や津田出(つだいづる)などが明治政府に先駆けて日本で初めて紀州藩に設立した四民平等の徴兵制によるプロシア式の軍隊の様子ですが、紀州藩の兵力は最終的に2万人となり、視察に来た明治政府はこれを見て恐れをなし洋式軍隊の設立を決め、そこに紀州藩兵を組み込むことにより、紀州藩を解兵させたのだそうです。ですから、明治政府の軍隊は紀州藩兵がベースになっているわけです。


和歌山の人はおおらかで、いいものであれば、惜しげもなく誰にでも教えてしまうという気風はここにも現れていますね。しかし、県立博物館の竹中課長は、この軍隊の制服に必要だった綿ネルや洋靴の製造が和歌山で始まり、地場産業として確固とした地位を築いていったことを説明してくれました。なるほど、それが和歌山市の地場産業であるニット産業や皮革産業のもとになっていたのですね。


続いて仁坂知事は、外務省にある唯一の銅像が「陸奥宗光」の銅像であることを紹介。これについて岡崎さんは、陸奥宗光と伊藤博文の強力なコンビについて説明、もし二人がずっと生きていれば、太平洋戦争でも負けなかっただろう、とおっしゃいました。

このほか、陸奥宗光が議会制民主主義の確立に果たした役割や、亮子(りょうこ)夫人の美貌、獄中での勉学の様子、さらには陸奥宗光の思想の根底には荻生徂徠の「人民のために尽くす」という考えがあることなどが紹介されました。とにかく聞けば聞くほど、陸奥宗光という人物の奥深さやスケールの大きさを知らされ、私のつたないレポートでは、とてもお伝えすることはできず、申し訳ありませんと謝るしかありません。

こうして、「陸奥宗光シンポジウム」はあっという間に予定の2時間が終わってしまいました。来場者の皆様もとても満足した様子で会場を後にされていました。私も、陸奥宗光から勇気や自信をもらうことができ、とても充実した時間を過ごすことができました。
家に帰って、中3の息子に講演の内容を話をしましたが、明治維新の時代に少し興味があるようで、しばらくその話で盛り上がったのがとてもうれしかったですね。

このシンポジウムの様子はビデオでも撮影していましたので、もし公開できるようになれば改めてお伝えしたいと思いますので、しばらくお待ちください!!

(文責:広報課 林 清仁)  
Posted by 広報ブログ編集長 at 22:03Comments(0)広報一般