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2013年07月13日

くじらに出会える海水浴場・開始【太地町】

太地町の「くじらに出会える海水浴場」が、7月13日()、始まりました!
8月25日()まで、毎日11時と13時の2回、15分間程、沖合のイケスからハナゴンドウ(マロン18歳♀とコスモ8歳♀)が放たれ、海水浴客の間を泳いでくれます。この夏、海水浴場で初泳ぎとなる2匹のクジラたちは元気一杯に海水浴客の間を泳ぎまわっていました。
 くじら博物館の桐畑副館長のお話では、 『シーズン初日、イケスから出た2匹は遊びたくて仕方が無い様子。特にマロンは今はイケスから出るとエサも取らずに泳ぎ遊んでいる。数日で環境に慣れ落ち着いてくるだろう。』とのことです。



大阪からお越しというご家族にお話を伺うと、「親戚より太地町でくじらと一緒に泳げるという話を聞いて来ました。思ったより大きいですね。良い体験ができました。」と話していました。ご一緒のお子さんも双眼鏡を手に、「大きい!」と目を丸くしていました。

去年までは、一度に放たれるクジラは1匹ずつでしたが、今年は2匹同時に放たれます。近くで観察できるチャンスが増えるのではないでしょうか?下の写真のように、クジラ2匹がすり抜けることも。


この夏、太地町の『くじらに出会える海水浴場』、ぜひ体験してみてください。
(水深が深い場所もあります。特にお子さんには、浮輪やライフジャケット、水中メガネなどの用意があると安心して楽しくクジラ観察ができるかと思います。)

【地 図】 http://goo.gl/maps/Tqqwy
【期 間】 7月13日()~8月25日(
【駐車場】海水浴場前駐車場や太地町立くじらの博物館(徒歩3分程度)の駐車場が利用できます。
【問い合わせ】太地町産業建設課 (電話 0735-59-2335)まで。※クジラの体調や天候等により開催されない場合もあります。
チラシPDFはこちら

【参考サイト】
くじら浜海水浴場(太地町WEBサイト)
  http://www.town.taiji.wakayama.jp/topics/topics_beach.html
太地町立くじらの博物館
  http://www.kujirakan.jp/

(文責 東牟婁振興局 企画産業課 吉中 秀郎)  

Posted by くまくま at 23:01Comments(0)イベント・地域振興

2013年07月13日

東京の紀州散策(11)紀州藩御殿を移築した横浜・本牧の三渓園

今日から3連休ですね。いつもご紹介している東京の紀州散策、今回は、少しだけ遠出をして、横浜まで行ってきました。ご紹介するのは横浜市中区の本牧(ほんもく)地区にある三渓園です。
場所は、横浜駅から市営バス本牧車庫行きで35分ぐらいの桜道バス停から歩いて3分ぐらいの場所にあります。


三渓園のある本牧地区は、古くから景勝地として知られていたところだそうです。この本牧の谷あいの地に、明治から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓(本名:富三郎)が造りあげた日本庭園です。原三渓は、全国各地の古建築を購入してここに移築し、庭園とともに整備を進めていき、明治35年(1906年)に三渓園として一般開放しました。その後、関東大震災や第二次世界大戦などにより、一部の建物は失われてしまいましたが、。昭和28年(1953年)には財団法人三溪園保勝会が設立され、庭園の整備が行われて現在に至っています。

三渓園には原三渓の死後も、古建築の移築は続けられていて、現在園内には、国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都5棟、和歌山3棟、神奈川2棟、岐阜1棟、東京1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物があるということですから、まさに文化財の宝庫と言えるでしょう。

約17万5千平米(53,000坪)という広大な園内に入ると、大きな池が出迎えてくれます。そしてその池の向こうに丘の上には、三重塔が見えますね。


建物を一つ一つ紹介しているときりがありませんので、和歌山から移築したとされている「臨春閣」をご紹介します。臨春閣はこの三渓園の古建築の中でも最も知られたものの一つで、国の重要文化財に指定されています。


立て看板によれば、この建物は紀州徳川家の初代藩主・徳川頼宣が、慶安2年(1649年)和歌山の紀ノ川沿い(現在の岩出市)に建てた夏の別荘「巖出(岩出)御殿」だと言われています。8代将軍吉宗は幼少の頃、この建物で育ったのだそうです。また、数寄屋風書院造りの建物としては、京都の桂離宮と並び称されているのだそうです。
臨春閣は、3棟の異なる建物が廊下でつながっています。そして、内部は、狩野派の絵師による襖絵や、床の間、棚などが設けられており、質素な中にも趣のある数寄屋風書院造りの特徴があらわれています。


この臨春閣、ここ三渓園には大正6年(1917年)に移築されたものですが、直接和歌山から移築したものではありません。原三渓は、大阪の春日出新田(現在の此花区春日出南1丁目)にあった建物を明治38年(1905年)ころに購入し、鉄道を使って横浜に運んだのだそうです。この建物は、大阪では「八州軒」と呼ばれていて、享保年中に紀州藩から拝領した建材により建築されたという記録が残っているそうです。そのため、後世の研究家が、ちょうど同じ時期に解体されたと記録のある紀州藩の「巖出御殿」を移築したのが「八州軒」ではないか、と考えるようになったのだそうです。
(詳しくは、有隣堂のホームページの「横浜・三溪園の建築 臨春閣の謎を解く」を参照してください。)

いずれにせよ、紀州徳川家のゆかりの建物であることには間違いはなく、建物のすばらしさは言うまでもありませんね。



このあと、私は広大な園内の建物を一つ一つ見て回ったのですが、きっちり1時間かかりました。戦後岐阜県から移築された合掌造りの住宅は、住宅内に入ることができ、その規模に圧倒されました。また、ちょうど蓮の花が見頃を迎えているのだそうですが、蓮の花が開いているのは、早朝6時ごろから9時頃までで、日中は閉じてしまい、さらには開いて4日目には散ってしまうので、早起きしないと観察できないそうです。私は行ったのは午前11頃でしたので、散る直前の1つだけを写真に納めることができました。


横浜・本牧の三渓園、ゆっくりするにはとてもいいところですね。また、園内の展望台からは、横浜港も一望できるので、観光地としてもおすすめです。もし横浜にお出かけの際には、一度立ち寄ってみてください。


(文責:東京事務所 林 清仁)
  
Posted by 広報ブログ編集長 at 18:43Comments(0)東京事務所通信