2011年06月17日
「松下幸之助 創業の地」記念碑!(大阪・野田阪神)
ブログ編集長です。
本日、大阪出張で野田阪神の商店街を通りかかったところ、商店街の入り口に、「松下幸之助 創業の地 記念碑 380m先」の看板が目にとまりました。松下幸之助といえば、「経営の神様」と呼ばれ松下電器産業(現パナソニック)の創業者として有名ですが、実は和歌山市出身です。これは是非見ておかなければと、商店街を通り抜け、記念碑のある大開(おおひらき)公園へと向かいました。あたりは今は静かな住宅地で、隣には府立西野田工科高校がありました。
こちらが記念碑です(前からと後から)。


記念碑の横にあった由来によると、松下幸之助さんは1894年和歌山県海草郡和佐村(現和歌山市)出身で、1918年、23歳の時にこの地で「松下電気器具製作所」を設立、配線器具の製造・販売を始められたそうです。そして、1933年に門真市に移転するまでの15年をこの地で過ごされたとのことです。
この記念碑は、松下幸之助生誕110年の記念日である2004年に、生誕の地和歌山にを代表する「緑泥片岩」(和歌山城の石垣に多く使われているそうです)を碑石として建立されたとのことです。

公園には、当時工場があった場所などを示す地図があったので少し歩いてみましたが、当時の面影は何も残っていませんでした。後でパナソニックのホームページを見て知ったのですが、門真市にある「パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館」には、創業当時の作業場を復元した「創業の家」が実物大で展示されているそうです。こちらも一度行ってみたいなと思いました。
本日ご紹介した大開公園の場所はこちらです。皆さんも近くに行った際には足を運ばれてはいかがでしょうか。
本日、大阪出張で野田阪神の商店街を通りかかったところ、商店街の入り口に、「松下幸之助 創業の地 記念碑 380m先」の看板が目にとまりました。松下幸之助といえば、「経営の神様」と呼ばれ松下電器産業(現パナソニック)の創業者として有名ですが、実は和歌山市出身です。これは是非見ておかなければと、商店街を通り抜け、記念碑のある大開(おおひらき)公園へと向かいました。あたりは今は静かな住宅地で、隣には府立西野田工科高校がありました。
こちらが記念碑です(前からと後から)。


記念碑の横にあった由来によると、松下幸之助さんは1894年和歌山県海草郡和佐村(現和歌山市)出身で、1918年、23歳の時にこの地で「松下電気器具製作所」を設立、配線器具の製造・販売を始められたそうです。そして、1933年に門真市に移転するまでの15年をこの地で過ごされたとのことです。
この記念碑は、松下幸之助生誕110年の記念日である2004年に、生誕の地和歌山にを代表する「緑泥片岩」(和歌山城の石垣に多く使われているそうです)を碑石として建立されたとのことです。

公園には、当時工場があった場所などを示す地図があったので少し歩いてみましたが、当時の面影は何も残っていませんでした。後でパナソニックのホームページを見て知ったのですが、門真市にある「パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館」には、創業当時の作業場を復元した「創業の家」が実物大で展示されているそうです。こちらも一度行ってみたいなと思いました。
本日ご紹介した大開公園の場所はこちらです。皆さんも近くに行った際には足を運ばれてはいかがでしょうか。
Posted by 広報ブログ編集長 at 23:18│Comments(0)
│人物
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。