2014年01月26日
東京の熊野神社探訪(3) 港区の2つの熊野神社
「東京の熊野神社探訪」、昨日に引き続きの探訪です。3回目の今日訪れたのは、東京のど真ん中、港区にある2つの熊野神社です。
『東京の熊野神社探訪(1) 目黒区・大田区の6つの熊野神社』でご紹介した23の「熊野神社リスト」のうちの、1番、2番になります。今日も昨日に引き続き、春のような温かさでした。
No.1 熊野神社 東京都港区麻布台2丁目2−14
場所は東京タワーのすぐ西側にあります。地下鉄だと都営大江戸線赤羽橋駅から北に7分ぐらい歩いたところです。
まわりにはロシアやアフガニスタン、フィジーなどの大使館があるところです。
神社は国道1号桜田通り沿いにありました。「熊野神社」と書かれた大きな石碑が目印です。両側にはビルがそびえ立ち、そのわずかな間に境内があるといった感じですね。ちなみに左側のビルは熊野神社の社務所を兼ねています。

『東京の熊野神社探訪(1) 目黒区・大田区の6つの熊野神社』でご紹介した23の「熊野神社リスト」のうちの、1番、2番になります。今日も昨日に引き続き、春のような温かさでした。
No.1 熊野神社 東京都港区麻布台2丁目2−14
場所は東京タワーのすぐ西側にあります。地下鉄だと都営大江戸線赤羽橋駅から北に7分ぐらい歩いたところです。
まわりにはロシアやアフガニスタン、フィジーなどの大使館があるところです。
神社は国道1号桜田通り沿いにありました。「熊野神社」と書かれた大きな石碑が目印です。両側にはビルがそびえ立ち、そのわずかな間に境内があるといった感じですね。ちなみに左側のビルは熊野神社の社務所を兼ねています。

東京の寺社解説サイト「猫のあしあと」には、「飯倉熊野神社」と掲載されています。
創建は養老年間(717-724)とも、応永年間(1394-1428)とも伝えられているそうです。文明年間(1469-87)に太田道灌によって再建され、武家の信仰を集め隆盛を極めたそうです。江戸時代後期の天保年間に刊行された「江戸名所図会」には、「飯倉熊野権現社」として描かれています。この絵を見れば、当時はとても広い境内だったのでしょうね。

(国立国会図書館デジタルコレクションより転載。)
昭和20年5月の空襲で、社殿(元禄期)・神楽殿(安政期)・社務所(大正期)などがすべて焼けてしまったそうです。こちらが現在の社殿です。

ここも紋章は「八咫烏」です。提灯や賽銭箱に描かれていました。

境内から振り返れば、そこには東京タワーがそびえています。まさに東京都心という感じですね。

No.2 熊野神社 東京都港区芝公園4丁目7-35
場所は、東京タワーの東側、浄土宗大本山増上寺の境内にある神社です。増上寺といえば、徳川将軍家の菩提寺として隆盛を極め、6人の将軍の墓所もあるところです(ちなみに吉宗のお墓は上野の寛永寺です。)。政治家や芸能人など有名人の葬儀もよく行われるので、ご存じの方も多いと思います。JR浜松町駅から西に歩いて10分ぐらいです。
増上寺は今日も朝から多くの観光客が参詣に訪れていました。境内では猿回しの芸を披露する人もいて、観光地の雰囲気です。

熊野神社は、境内の北東の隅にあります。増上寺の境内案内によれば、元和十年(1624年)、増上寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したものだそうです。
『熊野』には、「クマノ」・「ユヤ」と二通りの呼びかたがありますが、増上寺では「ユヤ」権現として親しまれているとのことです。

こちらは手水舎。水盤には「八咫烏」が刻まれています。

こちらは社殿。掲示板には「縁山志によれば、火災あれども、明暦以来焼けたことなし」と記されています。現在は毎年4月の第3日曜日に祭礼が行われているそうです。

こちらも東京タワーがよく見えます。いにしえの神社と現在と建築が共存していて、何か変な感じですね。

以上、第3回目の「東京の熊野神社探訪」をお伝えしました。昨日はちょっと遠出をして疲れたので、今日の探訪は自宅から近いところで済ませてしまいました。それにしても、東京でこんなに「熊野」に出会えるというのは驚きですね。今後も機会を見つけてご紹介したいと思います。
(文責:東京事務所 林 清仁)
創建は養老年間(717-724)とも、応永年間(1394-1428)とも伝えられているそうです。文明年間(1469-87)に太田道灌によって再建され、武家の信仰を集め隆盛を極めたそうです。江戸時代後期の天保年間に刊行された「江戸名所図会」には、「飯倉熊野権現社」として描かれています。この絵を見れば、当時はとても広い境内だったのでしょうね。

(国立国会図書館デジタルコレクションより転載。)
昭和20年5月の空襲で、社殿(元禄期)・神楽殿(安政期)・社務所(大正期)などがすべて焼けてしまったそうです。こちらが現在の社殿です。

ここも紋章は「八咫烏」です。提灯や賽銭箱に描かれていました。

境内から振り返れば、そこには東京タワーがそびえています。まさに東京都心という感じですね。

No.2 熊野神社 東京都港区芝公園4丁目7-35
場所は、東京タワーの東側、浄土宗大本山増上寺の境内にある神社です。増上寺といえば、徳川将軍家の菩提寺として隆盛を極め、6人の将軍の墓所もあるところです(ちなみに吉宗のお墓は上野の寛永寺です。)。政治家や芸能人など有名人の葬儀もよく行われるので、ご存じの方も多いと思います。JR浜松町駅から西に歩いて10分ぐらいです。
増上寺は今日も朝から多くの観光客が参詣に訪れていました。境内では猿回しの芸を披露する人もいて、観光地の雰囲気です。

熊野神社は、境内の北東の隅にあります。増上寺の境内案内によれば、元和十年(1624年)、増上寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したものだそうです。
『熊野』には、「クマノ」・「ユヤ」と二通りの呼びかたがありますが、増上寺では「ユヤ」権現として親しまれているとのことです。

こちらは手水舎。水盤には「八咫烏」が刻まれています。

こちらは社殿。掲示板には「縁山志によれば、火災あれども、明暦以来焼けたことなし」と記されています。現在は毎年4月の第3日曜日に祭礼が行われているそうです。

こちらも東京タワーがよく見えます。いにしえの神社と現在と建築が共存していて、何か変な感じですね。

以上、第3回目の「東京の熊野神社探訪」をお伝えしました。昨日はちょっと遠出をして疲れたので、今日の探訪は自宅から近いところで済ませてしまいました。それにしても、東京でこんなに「熊野」に出会えるというのは驚きですね。今後も機会を見つけてご紹介したいと思います。
(文責:東京事務所 林 清仁)
Posted by 東京通信員 at 17:26│Comments(0)
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