2011年12月22日
「山東軽便鉄道」の歴史~「和歌山県立文書館だより」から
ブログ編集長です。
11月30日に発行された和歌山県立文書館の「文書館だより」第32号で、「山東軽便鉄道」の歴史が掲載されていましたのでご紹介します。
山東軽便鉄道は、現在、たま駅長やいちご電車などで知られる和歌山電鐵貴志川線です。営業開始は大正5年(1916年)2月15日。開業時の路線は「大橋駅~山東駅(現伊太祈曽駅)」だったそうです。現在の貴志川線は和歌山駅発ですが、開業当時は紀勢本線も阪和線もない時代ですので、現在の和歌山駅付近は田んぼの真ん中です。大正11年当時の地図が載っていましたので転載します。(地図をクリックすると拡大します。)

山東軽便鉄道は、翌大正6年(1917年)3月には現在の紀和駅近くの中ノ島駅まで延長されます。これで和歌山線との接続ができるようになりました。当時の路線を現在のGoogleマップに重ねた地図がこちらです。(地図をクリックすると拡大します。)

現在のアロチのど真ん中を電車が走っていて、「畑屋敷」という駅まであったなんて、何かノスタルジックですね。
この後、大正13年(1924年)の紀勢線の開業に伴い、山東軽便鉄道は線路の交差を避けるために、現在の和歌山駅への乗りいれに変わり、大橋~中ノ島の路線は廃止されました。
山東軽便鉄道は、昭和6年(1931年)に社名が「和歌山鉄道」となり、昭和8年(1933年)には伊太祈曽駅~貴志駅間が開通して、現在の路線になったのだそうです。
さらに、昭和32年(1957年)和歌山電気軌道が吸収合併、昭和36年(1961年)に南海電気鉄道貴志川線となり、平成17年(2006年)に現在の和歌山電鐵貴志川線となりました。
改めて調べてみると、鉄道の変遷は町の歴史とつながっているのですね。「文書館だより」第32号は、和歌山県立文書館のホームページに掲載されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。
11月30日に発行された和歌山県立文書館の「文書館だより」第32号で、「山東軽便鉄道」の歴史が掲載されていましたのでご紹介します。
山東軽便鉄道は、現在、たま駅長やいちご電車などで知られる和歌山電鐵貴志川線です。営業開始は大正5年(1916年)2月15日。開業時の路線は「大橋駅~山東駅(現伊太祈曽駅)」だったそうです。現在の貴志川線は和歌山駅発ですが、開業当時は紀勢本線も阪和線もない時代ですので、現在の和歌山駅付近は田んぼの真ん中です。大正11年当時の地図が載っていましたので転載します。(地図をクリックすると拡大します。)

山東軽便鉄道は、翌大正6年(1917年)3月には現在の紀和駅近くの中ノ島駅まで延長されます。これで和歌山線との接続ができるようになりました。当時の路線を現在のGoogleマップに重ねた地図がこちらです。(地図をクリックすると拡大します。)

現在のアロチのど真ん中を電車が走っていて、「畑屋敷」という駅まであったなんて、何かノスタルジックですね。
この後、大正13年(1924年)の紀勢線の開業に伴い、山東軽便鉄道は線路の交差を避けるために、現在の和歌山駅への乗りいれに変わり、大橋~中ノ島の路線は廃止されました。
山東軽便鉄道は、昭和6年(1931年)に社名が「和歌山鉄道」となり、昭和8年(1933年)には伊太祈曽駅~貴志駅間が開通して、現在の路線になったのだそうです。
さらに、昭和32年(1957年)和歌山電気軌道が吸収合併、昭和36年(1961年)に南海電気鉄道貴志川線となり、平成17年(2006年)に現在の和歌山電鐵貴志川線となりました。
改めて調べてみると、鉄道の変遷は町の歴史とつながっているのですね。「文書館だより」第32号は、和歌山県立文書館のホームページに掲載されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。
Posted by 広報ブログ編集長 at 13:22│Comments(0)
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