2012年02月15日
高野七口街道をウォーキング
伊都・橋本広報です
「高野七口」というのをご存知でしょうか。
弘法大師空海によって高野山が開創されて以降1200年間、多くの人々が行き交った高野山へ通ずる7本の街道。
その7本の街道の高野山への入り口が、高野七口です。
明治5年(1872年)まで高野山は女人禁制であったため、7つの入り口にはお籠り堂として女人堂が建てられていました。
7つの女人堂を結ぶ道は高野山女人道と言われ、八葉蓮華の峰々を巡りながら女性たちは大師御廟に手を合わせたと言われています。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている高野山町石道と熊野古道小辺路も、高野七口へ通じる7本の街道のうちの2本です。
昨年には、「黒河道に室町時代の石仏」「高野街道京大阪道に江戸時代の絵図に描かれていた華瓶」といったニュースで目にされた方もいらっしゃるかと思いますが、世界遺産に登録されている道以外にも歴史ある街道はいくつもあります。
それらの道は近年、参詣道としてだけでなくウォーキングルートとしても人気を集めていることから、伊都振興局では1日で楽しめるウォーキングコースとして「高野七口街道マップ」のご紹介を始めました。
自然と歴史あふれる古の道を歩いてみませんか?
>>「高野七口街道マップ」
※高野七口街道マップは平成23年度伊都振興局政策コンペ事業として作成しました。
(写真左:高野街道京大阪道の一里石)(写真右:有田・龍神道から望む天狗岳)
また、1月21日よりスタートした九度山町の真田幸村スタンプラリーですが、大好評につき第1期のグッズが交換終了したそうです。ありがとうございます!
近くを通りかかると、老若男女を問わずスタンプラリーの台紙を持って歩き回っていらっしゃる方を多く見かけます。
たくさんの方に九度山町の魅力を感じていただければ嬉しく思います。
第2期グッズ交換は3月1日からです。お楽しみに!
「高野七口」というのをご存知でしょうか。
弘法大師空海によって高野山が開創されて以降1200年間、多くの人々が行き交った高野山へ通ずる7本の街道。
その7本の街道の高野山への入り口が、高野七口です。
明治5年(1872年)まで高野山は女人禁制であったため、7つの入り口にはお籠り堂として女人堂が建てられていました。
7つの女人堂を結ぶ道は高野山女人道と言われ、八葉蓮華の峰々を巡りながら女性たちは大師御廟に手を合わせたと言われています。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている高野山町石道と熊野古道小辺路も、高野七口へ通じる7本の街道のうちの2本です。
昨年には、「黒河道に室町時代の石仏」「高野街道京大阪道に江戸時代の絵図に描かれていた華瓶」といったニュースで目にされた方もいらっしゃるかと思いますが、世界遺産に登録されている道以外にも歴史ある街道はいくつもあります。
それらの道は近年、参詣道としてだけでなくウォーキングルートとしても人気を集めていることから、伊都振興局では1日で楽しめるウォーキングコースとして「高野七口街道マップ」のご紹介を始めました。
自然と歴史あふれる古の道を歩いてみませんか?
>>「高野七口街道マップ」
※高野七口街道マップは平成23年度伊都振興局政策コンペ事業として作成しました。
(写真左:高野街道京大阪道の一里石)(写真右:有田・龍神道から望む天狗岳)
また、1月21日よりスタートした九度山町の真田幸村スタンプラリーですが、大好評につき第1期のグッズが交換終了したそうです。ありがとうございます!
近くを通りかかると、老若男女を問わずスタンプラリーの台紙を持って歩き回っていらっしゃる方を多く見かけます。
たくさんの方に九度山町の魅力を感じていただければ嬉しく思います。
第2期グッズ交換は3月1日からです。お楽しみに!
Posted by 伊都・橋本広報 at 13:10│Comments(0)
│観光・自然
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