2014年02月01日
東京の熊野神社探訪(4) 杉並区の4つの熊野神社
「東京の熊野神社探訪」、4回目は東京23区の中でいちばん西にある杉並区にある4つの熊野神社です。
『東京の熊野神社探訪(1) 目黒区・大田区の6つの熊野神社』でご紹介した23の「熊野神社リスト」のうちの、11番から14番になります。今年の東京は温かく、今日も春を思わせるような陽気で、神社巡りには最適な天気でした。
No.13 熊野神社 東京都杉並区和泉3丁目21−29
場所は京王井の頭線の永福町の駅から東に歩いて7分程、神田川ぞいの少し小高い丘になっている所にあります。
こちらの写真は神田川にかかる宮前橋から、和泉熊野神社の森を眺めたところです。まわりは住宅地ですが、神社の森が昔の武蔵野を思い出させてくれます。
『東京の熊野神社探訪(1) 目黒区・大田区の6つの熊野神社』でご紹介した23の「熊野神社リスト」のうちの、11番から14番になります。今年の東京は温かく、今日も春を思わせるような陽気で、神社巡りには最適な天気でした。
No.13 熊野神社 東京都杉並区和泉3丁目21−29
場所は京王井の頭線の永福町の駅から東に歩いて7分程、神田川ぞいの少し小高い丘になっている所にあります。
こちらの写真は神田川にかかる宮前橋から、和泉熊野神社の森を眺めたところです。まわりは住宅地ですが、神社の森が昔の武蔵野を思い出させてくれます。
東京の寺社解説サイト「猫のあしあと」には、「和泉熊野神社」と掲載されています。この神社は旧和泉村の鎮守で、現在も「和泉の鎮守さま」として、人々に親しまれているそうです。創建は文永4年(1267年)、紀州に熊野神社の分霊を祀ったとされています。うっそうとした鎮守の森は、東京23区とは思えない雰囲気です。
境内には「くまの幼稚園」が併設されています。緑いっぱいのところで遊べる園児たちがうらやましいですね。また境内末社の貴船神社には湧水があったことから、「和泉」という地名になったと伝えられているそうです。
こちらは社殿。文久3年(1863)の造営で、明治4年に修覆したものとのこと。とても立派ですね。社殿のすぐ左にそびえるクロマツは、樹齢約350年の大木で、徳川家光が鷹狩りの途中に休息した際に手植えしたものと伝えられているそうです。
No.12 熊野神社 東京都杉並区堀ノ内2丁目6−5
こちらは、地下鉄丸ノ内線の方南町駅から北西に10分程歩いた場所にあります。すぐそばを神田川の支流である善福寺川が流れています。
こちらも、うっそうとした鎮守の森が出迎えてくれます。
東京の寺社解説サイト「猫のあしあと」には、「堀ノ内熊野神社」と掲載されています。創建は文永4年(1267年)に、紀州(現和歌山県)の熊野三山を勧請したのにはじまるとのこと。上でご紹介した和泉熊野神社と同じ年に創建されたことになります。巨木が多い境内が、そんな歴史を感じさせます。
社殿は総欅(ケヤキ)造りで、安政4年(1857年)の建築。彫刻も立派で、杉並区随一といわれているそうです。確かに堂々とした造りです。
次の熊野神社に向かう途中で、ちょっと脱線して杉並区立郷土博物館にお邪魔しました。ここは江戸時代に建築された長屋門・古民家とともに、杉並の歴史が紹介されています。
このあたりは武蔵野台地なので主に畑作が中心だったそうです。江戸時代に甲州街道の第1の宿場町である高井戸宿が開かれましたが、五街道の中でも通行量が最も少なかったため、宿場の人々は農業も行って生計を立てていたとのこと。
また、このあたりが住宅地になったのは、1923年の関東大震災が一つのきっかけだったようです。1922年に中央線の高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪の3駅ができていたことから、都心に住んでいた人々が杉並へと移ってきたのだとか。そういった意味では割に新しい住宅地ということになるのでしょうね。
No.11 尾崎熊野神社 東京都杉並区成田西3丁目9−5
それでは熊野神社探訪に戻ります。尾崎熊野神社は、地下鉄丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅から南西に10分程歩いた場所にあります。こちらの神社も善福寺川沿いにあります。
近づくと、「尾崎熊野神社」の看板が見えてきます。境内にあるひときわ高いクロマツが目印です。このクロマツは樹齢約400年のご神木で、杉並区でも有数の樹木の一つだそうです。参道にはなぜか多くの子供用の自転車が駐められていました。
東京の寺社解説サイト「猫のあしあと」にも、「尾崎熊野神社」と掲載されています。創建年代は不詳ですが、鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武士が、代々崇敬する紀州の熊野権現をこの地へ勧請したのに基くという言い伝えがあるそうです。地名の「尾崎」は、「小さな崎」の意で、崎とは舌状にのびた台地突端部をあらわすことから、このあたりの地形に由来したものと考えられているそうです。
境内は今日これまでご紹介した2つの熊野神社よりはこぢんまりとしています。社殿も鉄筋コンクリート造りで、少し小ぶりです。境内中央には巨大なクロマツがそびえています。
No.14 熊野神社 東京都杉並区天沼2丁目40-2
本日最後にご紹介する熊野神社は、JR中央線荻窪駅から北東に歩いて約10分、住宅地のど真ん中にあります。今日の4つの熊野神社の中では、唯一川に面していない神社です。
東京の寺社解説サイト「猫のあしあと」には、「天沼熊野神社」と掲載されています。旧天沼村の鎮守で、創建年代は不詳ですが、神護景雲二年(768)の創建とも、元寇三年(1333)の創建とも伝えられます。
こちらが正面鳥居から境内を写した写真です。提灯には「三つ巴」の紋が描かれています。本日訪れた4つの熊野神社の社紋はすべて「三つ巴」でした。
境内には直径2メートルもの杉の切株が保存されています。この杉は新田義貞がこの地に陣をしいた際、戦勝を祈願して手植えしたものと伝えられていたのですが、枯れたため昭和17年に伐採されたのだそうです。
こちらが社殿。大きくはありませんが、とてもしっかりしたきれいな社殿です。中には宮司さんでしょうか、神職の方がいらっしゃいました。
正面鳥居のすぐ前には、熊野のご神木として知られる「梛(なぎ)」の木が植えてありました。まだそんなに大きくなっていないので、何年か前に植えられたものだと思います。梛は関東南部が生育の北限とされていますが、新田義貞の杉の巨木のようにこれからどんどん大きくなってほしいものです。
以上が、杉並区の4つの熊野神社です。江戸時代よりずっと前からこのあたりには熊野神社があったということが驚きです。その熊野神社が昔の武蔵野の雰囲気を残しているのもとても興味深いところです。みなさんも、お時間があれば一度訪ねてみてください。
(文責:東京事務所 林 清仁)
境内には「くまの幼稚園」が併設されています。緑いっぱいのところで遊べる園児たちがうらやましいですね。また境内末社の貴船神社には湧水があったことから、「和泉」という地名になったと伝えられているそうです。
こちらは社殿。文久3年(1863)の造営で、明治4年に修覆したものとのこと。とても立派ですね。社殿のすぐ左にそびえるクロマツは、樹齢約350年の大木で、徳川家光が鷹狩りの途中に休息した際に手植えしたものと伝えられているそうです。
No.12 熊野神社 東京都杉並区堀ノ内2丁目6−5
こちらは、地下鉄丸ノ内線の方南町駅から北西に10分程歩いた場所にあります。すぐそばを神田川の支流である善福寺川が流れています。
こちらも、うっそうとした鎮守の森が出迎えてくれます。
東京の寺社解説サイト「猫のあしあと」には、「堀ノ内熊野神社」と掲載されています。創建は文永4年(1267年)に、紀州(現和歌山県)の熊野三山を勧請したのにはじまるとのこと。上でご紹介した和泉熊野神社と同じ年に創建されたことになります。巨木が多い境内が、そんな歴史を感じさせます。
社殿は総欅(ケヤキ)造りで、安政4年(1857年)の建築。彫刻も立派で、杉並区随一といわれているそうです。確かに堂々とした造りです。
次の熊野神社に向かう途中で、ちょっと脱線して杉並区立郷土博物館にお邪魔しました。ここは江戸時代に建築された長屋門・古民家とともに、杉並の歴史が紹介されています。
このあたりは武蔵野台地なので主に畑作が中心だったそうです。江戸時代に甲州街道の第1の宿場町である高井戸宿が開かれましたが、五街道の中でも通行量が最も少なかったため、宿場の人々は農業も行って生計を立てていたとのこと。
また、このあたりが住宅地になったのは、1923年の関東大震災が一つのきっかけだったようです。1922年に中央線の高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪の3駅ができていたことから、都心に住んでいた人々が杉並へと移ってきたのだとか。そういった意味では割に新しい住宅地ということになるのでしょうね。
No.11 尾崎熊野神社 東京都杉並区成田西3丁目9−5
それでは熊野神社探訪に戻ります。尾崎熊野神社は、地下鉄丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅から南西に10分程歩いた場所にあります。こちらの神社も善福寺川沿いにあります。
近づくと、「尾崎熊野神社」の看板が見えてきます。境内にあるひときわ高いクロマツが目印です。このクロマツは樹齢約400年のご神木で、杉並区でも有数の樹木の一つだそうです。参道にはなぜか多くの子供用の自転車が駐められていました。
東京の寺社解説サイト「猫のあしあと」にも、「尾崎熊野神社」と掲載されています。創建年代は不詳ですが、鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武士が、代々崇敬する紀州の熊野権現をこの地へ勧請したのに基くという言い伝えがあるそうです。地名の「尾崎」は、「小さな崎」の意で、崎とは舌状にのびた台地突端部をあらわすことから、このあたりの地形に由来したものと考えられているそうです。
境内は今日これまでご紹介した2つの熊野神社よりはこぢんまりとしています。社殿も鉄筋コンクリート造りで、少し小ぶりです。境内中央には巨大なクロマツがそびえています。
No.14 熊野神社 東京都杉並区天沼2丁目40-2
本日最後にご紹介する熊野神社は、JR中央線荻窪駅から北東に歩いて約10分、住宅地のど真ん中にあります。今日の4つの熊野神社の中では、唯一川に面していない神社です。
東京の寺社解説サイト「猫のあしあと」には、「天沼熊野神社」と掲載されています。旧天沼村の鎮守で、創建年代は不詳ですが、神護景雲二年(768)の創建とも、元寇三年(1333)の創建とも伝えられます。
こちらが正面鳥居から境内を写した写真です。提灯には「三つ巴」の紋が描かれています。本日訪れた4つの熊野神社の社紋はすべて「三つ巴」でした。
境内には直径2メートルもの杉の切株が保存されています。この杉は新田義貞がこの地に陣をしいた際、戦勝を祈願して手植えしたものと伝えられていたのですが、枯れたため昭和17年に伐採されたのだそうです。
こちらが社殿。大きくはありませんが、とてもしっかりしたきれいな社殿です。中には宮司さんでしょうか、神職の方がいらっしゃいました。
正面鳥居のすぐ前には、熊野のご神木として知られる「梛(なぎ)」の木が植えてありました。まだそんなに大きくなっていないので、何年か前に植えられたものだと思います。梛は関東南部が生育の北限とされていますが、新田義貞の杉の巨木のようにこれからどんどん大きくなってほしいものです。
以上が、杉並区の4つの熊野神社です。江戸時代よりずっと前からこのあたりには熊野神社があったということが驚きです。その熊野神社が昔の武蔵野の雰囲気を残しているのもとても興味深いところです。みなさんも、お時間があれば一度訪ねてみてください。
(文責:東京事務所 林 清仁)
Posted by 東京通信員 at 21:14│Comments(0)
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