読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 85人
和歌山県公式facebookページ わかやま観光情報 プレミア和歌山 わいわい市場 わかやま紀州館・和歌山県アンテナショップ わかやまイベントボード 人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へ
ページランク
新規投稿

新規投稿するにはログインする必要があります。会員IDをお持ちでない方はIDを取得された後に投稿できるようになります。
QRコード
QRCODE
プロフィール
広報ブログ編集長
広報ブログ編集長
和歌山県広報課です。
和歌山県の観光・食・文化・自然・産業などの魅力を発信しています。和歌山のホットな情報をタイムリーに提供していきます。
もちろん、リンクフリーですのでどんどん広めて下さい!

なおコメントに対する返信は原則として行いませんので、あしからずご了承ください。
<和歌山県ソーシャルメディア運用ポリシー>
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/snspolicy.html

和歌山の情報発信
ブログポータル

ログインはTOPページで
私も作ってみる


[PR]ちらし印刷選挙用品
[PR]和歌山ネットチラシ
[PR] 和歌山情報ブログでチェックイコラブログ
[PR] 商品ページ1ページからリニューアル!!楽天ヤフーOK!現在キャンペーン


アクセスカウンタ

2013年09月23日

東京の紀州散策(16)井沢弥惣兵衛が開いた見沼代用水①

東京の紀州散策の16回目は、江戸時代の治水家で、「紀州流」土木技術の祖といわれる井沢弥惣兵衛為永(いざわ やそうべえ ためなが)が開いた見沼代用水です。

これまで、このブログでは『井沢弥惣兵衛の墓』『井沢弥惣兵衛が開いた「見沼通船堀」』と2回にわたり井沢弥惣兵衛をご紹介してきましたが、その最大の功績である「見沼代用水」をご紹介しないわけにはいきません。そこで、これから数回にわたって現在の「見沼代用水」をご紹介しながら、井沢弥惣兵衛の業績をさかのぼってみたいと思います。

「見沼代用水(みぬまだいようすい)」は、江戸時代の1728年(享保13年)に、八代将軍徳川吉宗の命により、紀州藩の役人であった井沢弥惣兵衛為永が、武蔵国に普請した灌漑農業用水です。用水は現在の埼玉県行田市の利根川より取水され、途中で東縁(ひがしべり)と西縁(にしべり)の2手に分かれています。東縁は東京都足立区まで、西縁はさいたま市南区まで続いていて、埼玉県を南北に縦断しています。その延長は、幹線水路の長さが約70km、支線水路をあわせると約100kmに及び、灌漑面積は約15,400haということですから、いかに長大な用水路かがおわかりいただけると思います。そんなことから、見沼代用水は、葛西用水(埼玉県)、明治用水(愛知県)とともに日本三大農業用水と称されています。(下の地図をクリックすると拡大表示されます。)


ここで、見沼代用水建設に至る背景を少しだけご説明しておきましょう。
江戸時代の初めの1629年、関東郡代であった伊奈忠治は、現在のさいたま市見沼区を流れていた川筋(現・芝川に当たる)をせき止めて、見沼溜井(みぬまためい)というため池を作りました。ところが、このため池には流入する水はほとんどなく、貯水能力は次第に低下していきました。さらに見沼周囲の新田開発が活発化すると、さらに水不足が深刻となってきたのです。

見沼ができて約90年後の享保元年(1716年)、徳川吉宗が八代将軍に就任すると、享保の改革が始まり、享保7年(1722年)には新田開発奨励策が示されます。幕府は、享保10年(1725年)見沼を干拓し新田開発することを決定しますが、見沼から水の提供を受けていた下流の農民たちは当然強く反対をしたのです。

この難問解決の切り札として、吉宗が紀州藩から呼び寄せたのが、井沢弥惣兵衛なのです。弥惣兵衛は紀州藩の勘定方として、大畑才蔵(おおはた さいぞう)とともに、紀の川北岸に藤崎井・小田井という2つの灌漑用水を作り、新田開発に大きく貢献しました。吉宗はその高い土木技術を関東で活かそうとしたのでしょう。ちなみに、弥惣兵衛の師である大畑才蔵は高齢のため1715年に隠居、1720年に死去しています。

弥惣兵衛は、見沼干拓と農業用水の確保という相反する2つの難問を解決するため、60kmも離れた利根川から水を取り入れる用水を建設します。そして、享保13年(1728年)に、見沼の代替となる用水「見沼代用水」が完成したのです。これにより、見沼跡地は干拓され、1,000haを超えるの新田(現在の「見沼たんぼ」)が開発されるとともに、見沼以外の用水路流域の沼地も次々と干拓され、享保の改革に大きく貢献したのです。

見沼代用水については、以下のホームページに詳しく掲載されていますので、ぜひご覧ください!!
※ さいたま市 「見沼たんぼ」ホームページ:「見沼代用水」
※  (社)農業農村整備情報総合センター「水土の礎」:「近世用排水システムの結実、見沼代用水」
※ 農林水産省:「見沼代用水を築いた井澤弥惣兵衛為永」

さて、前置きが長くなりましたが、そんな「見沼代用水」をご紹介する旅の第1回目は、見沼代用水の最も上流である、埼玉県行田市の北部、利根川の取水口から、星川合流地点までの約2.5kmです。私は、9/22(日)に、JR高崎線の熊谷駅から秩父鉄道で行田市駅へと向かいました。市の観光情報館で無料のレンタサイクルを借りて、約20分で取水口のある見沼元圦(もといり)公園にたどり着きました。


現在の取水口は、昭和38年(1963年)に完成した利根大堰のすぐ横にあります。ここは、見沼代用水のほか、利根大堰完成後につくられた武蔵水路、埼玉用水路の取水口にもなっています。ここから埼玉や東京に大量の飲料水や農業用水が供給されているのです。


井沢弥惣兵衛が作った取水口は、現在の取水口のすぐ西隣にありました。昭和43年(1968年)に廃止されましたが、現在は見沼代用水元圦公園となり、祠や石碑があります。中央の祠は「元圦鎮守弁財天」といい、水の神様である弁財天と井沢弥惣兵衛を祀っているそうです。


石碑には、「紀州人井澤彌總兵衛」の文字が見えます。


見沼代用水沿いは「緑のヘルシーロード」という自転車・歩行者道路になっています。桜並木が続いているので桜の時期にはきっときれいでしょうね。


取水口から約2.5km、見沼代用水はここで星川と合流します。そして、約18km先の久喜市菖蒲町で再び分流するのです。写真右側が見沼代用水、左が星川です。


ちなみに、今回訪れた行田市は昨年映画にもなった「のぼうの城」の舞台・忍(おし)城のある場所です。映画では、野村萬斎扮する主人公の成田長親を紀州雑賀衆が鉄砲で狙撃するシーンが描かれていましたが、石田三成の忍城水攻めに雑賀衆が参加したという記録も残っているそうです。


井沢弥惣兵衛が開いた見沼代用水をたどる旅の第1日目はこれでおしまいです。気がつけば埼玉県と群馬県の県境まで来ていましたが、和歌山とは全く関係ないと思っていた行田市にも、こんなふうに紀州の人々の足跡が残っているのですね。見沼代用水については、また日を改めて第2弾、第3弾をお届けしたいと思います。

(文責:東京事務所 林 清仁)

同じカテゴリー(東京事務所通信)の記事画像
明朝(9/30)朝日放送「おはよう朝日です」で「キティちゃん列車で行く和歌山観光イベント」紹介!
本日(9/24)読売テレビ「かんさい情報ネットten.」で和歌山電鐵「たま駅長」特集!
田辺市出身のバリトン歌手・須藤慎吾さんのコンサート!(3/30 東京・サントリーホール)
同じカテゴリー(東京事務所通信)の記事
 明朝(11/6)読売テレビ「ZIP!」で和歌山の大自然が育んだマル秘食材紹介! (2014-11-05 21:07)
 明日(10/25)MBS「せやねん!」に有田市の千田まつりが登場!! (2014-10-24 23:57)
 明朝(10/25)ABCテレビ「おはよう朝日 土曜日です」で高野山の旅! (2014-10-24 23:45)
 明朝(10/4)フジテレビ系列「にじいろジーン」にかつらぎ町の柿農家登場! (2014-10-03 21:42)
 明朝(9/30)朝日放送「おはよう朝日です」で「キティちゃん列車で行く和歌山観光イベント」紹介! (2014-09-29 23:04)
 本日(9/24)毎日放送「VOICE」で「和歌山の発明王」特集! (2014-09-24 15:28)
Posted by 広報ブログ編集長 at 12:27│Comments(0)東京事務所通信
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。