2013年08月17日
東京の紀州散策(13)井沢弥惣兵衛の墓(千代田区・心法寺)
東京の紀州散策も13回目。今回は、千代田区麹町の心法寺にある井沢弥惣兵衛の墓をご紹介します。
まずは、井沢弥惣兵衛為永(いざわ やそうべえ ためなが)について簡単にご紹介します。弥惣兵衛は、江戸時代の治水家で、いわゆる「紀州流」の土木技術の祖として知られています。承応3年(1654年、1663年生まれ説もある)、那賀郡溝ノ口村(現在の和歌山県海南市野上新)の豪農の家に生まれ、元禄3年(1690年)、紀州藩2代藩主の徳川光貞に召し出され、紀州藩の勘定方に就任しています。
そして、大畑才蔵(おおはた さいぞう)とともに、紀の川北岸に藤崎井・小田井という2つの灌漑用水を作りました。ここで、弥惣兵衛は大畑才蔵から紀州流の土木技術を受け継いだのでしょう。
弥惣兵衛の紀州藩での最大の業績は、現在の海南市に宝永7年(1710年)に築いた「亀池」です。亀池は和歌山県下最大級のため池として知られ、現在も143haの農地を潤しています。
享保元年(1716年)に八代将軍に就いた徳川吉宗の命により、享保7年(1722年)に弥惣兵衛は幕府に出仕し、武蔵国(現在の埼玉県・東京都)に見沼代用水(みぬまだいようすい)を開くなどして、関東平野での新田開発に大きく貢献しました。これらの弥惣兵衛の功績により、これ以降幕府の治水技術は、紀州流が主流となっていきます。その後、享保16年(1731年)に勘定吟味役、享保20年(1735年)には美濃国郡代となり、元文3年(1738年)に亡くなっています。
その井沢弥惣兵衛が眠っているのが千代田区麹町にある心法寺です。番地は麹町となっていますが、JR四ツ谷駅から半蔵門方面に歩いて3分ぐらいの場所です。ちなみに和歌山県東京事務所からは歩いて15分ぐらいの場所です。
麹町大通りから通路を北に入ると心法寺の正面です。心法寺は浄土宗のお寺で、徳川家康とともに江戸に来た然翁聖山和尚が創始者とのことですので、江戸初期の創建ですね。また千代田区内では唯一墓地があるお寺として知られているそうです。
井沢弥惣兵衛の墓は、墓地のほぼ中央にありました。建てられてから300年近く経っていますので墓石は古くなっていますが、新しい案内柱がありましたのですぐわかります。
墓石の側面には「俗名 井澤彌總兵衛爲永 行年七十六」と記されています。
以上が、心法寺の井沢弥惣兵衛のお墓のご紹介です。なお、井沢弥惣兵衛が作った「見沼代用水」については、見所満載なので、後日改めてレポートしたいと思います。
(文責:東京事務所 林 清仁)
まずは、井沢弥惣兵衛為永(いざわ やそうべえ ためなが)について簡単にご紹介します。弥惣兵衛は、江戸時代の治水家で、いわゆる「紀州流」の土木技術の祖として知られています。承応3年(1654年、1663年生まれ説もある)、那賀郡溝ノ口村(現在の和歌山県海南市野上新)の豪農の家に生まれ、元禄3年(1690年)、紀州藩2代藩主の徳川光貞に召し出され、紀州藩の勘定方に就任しています。
そして、大畑才蔵(おおはた さいぞう)とともに、紀の川北岸に藤崎井・小田井という2つの灌漑用水を作りました。ここで、弥惣兵衛は大畑才蔵から紀州流の土木技術を受け継いだのでしょう。
弥惣兵衛の紀州藩での最大の業績は、現在の海南市に宝永7年(1710年)に築いた「亀池」です。亀池は和歌山県下最大級のため池として知られ、現在も143haの農地を潤しています。
享保元年(1716年)に八代将軍に就いた徳川吉宗の命により、享保7年(1722年)に弥惣兵衛は幕府に出仕し、武蔵国(現在の埼玉県・東京都)に見沼代用水(みぬまだいようすい)を開くなどして、関東平野での新田開発に大きく貢献しました。これらの弥惣兵衛の功績により、これ以降幕府の治水技術は、紀州流が主流となっていきます。その後、享保16年(1731年)に勘定吟味役、享保20年(1735年)には美濃国郡代となり、元文3年(1738年)に亡くなっています。
その井沢弥惣兵衛が眠っているのが千代田区麹町にある心法寺です。番地は麹町となっていますが、JR四ツ谷駅から半蔵門方面に歩いて3分ぐらいの場所です。ちなみに和歌山県東京事務所からは歩いて15分ぐらいの場所です。
麹町大通りから通路を北に入ると心法寺の正面です。心法寺は浄土宗のお寺で、徳川家康とともに江戸に来た然翁聖山和尚が創始者とのことですので、江戸初期の創建ですね。また千代田区内では唯一墓地があるお寺として知られているそうです。
井沢弥惣兵衛の墓は、墓地のほぼ中央にありました。建てられてから300年近く経っていますので墓石は古くなっていますが、新しい案内柱がありましたのですぐわかります。
墓石の側面には「俗名 井澤彌總兵衛爲永 行年七十六」と記されています。
以上が、心法寺の井沢弥惣兵衛のお墓のご紹介です。なお、井沢弥惣兵衛が作った「見沼代用水」については、見所満載なので、後日改めてレポートしたいと思います。
(文責:東京事務所 林 清仁)
Posted by 広報ブログ編集長 at 08:37│Comments(0)
│東京事務所通信
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