2013年02月18日
紀の川の巨木は古墳時代のもの!紀伊風土記の丘で保存へ!
和歌山市を流れる紀の川で見つかった「巨大流木」については、以前このブログで『昨年の台風12号で紀の川下流まで流されてきた「巨大流木」!』とご紹介し、多くの皆さんからアクセスをいただきました。こちらはその際に私が撮影した写真です。
ブログ記事には「今後専門家による調査がされる」とお伝えしていたところですが、和歌山県教育委員会が調査した結果、この巨木は何と古墳時代のものであることがでわかったそうです。これは、和歌山県財政課が発表した平成25年度当初予算・新政策の資料(PDFファイル, 20.2MB)の66ページに掲載されています。ファイルサイズが大きいので、66ページだけを抜き出してご紹介します。(画像をクリックすると拡大表示されます。)
この資料によれば、巨木はクスノキで、推定樹齢は約350年、西暦700年頃まで生育していたものだそうです。ということは、芽を出したのが西暦350年ぐらいですから、この木が青々と茂っていたのはまさに古墳時代ということになりますね。
大宝律令が制定されたのが西暦701年ですから、その頃に、この巨木は何らかの理由で死んでしまったのですね。通常ならば木は枯れると腐ってしまうはずですが、腐らずにほぼそのままの姿で見られるのはすごいですね。ひょっとしたら富山県にある魚津埋没林と同じように埋もれていたのが、一昨年の紀伊半島大水害の際の豪雨の力で掘り返されて、紀の川大堰のところまで流れてきたのかもしれません。そうやって考えてみると、この巨木はただの切り株ではなく、奇跡の巨木ということになり、歴史のロマンを感じますね。
さて、この巨木のこれからですが、防腐処理を施した上で、和歌山県立紀伊風土記の丘まで運ばれて、大切に保存・展示されることになったそうです。紀伊風土記の丘は、国の特別史跡に指定されている「岩橋千塚古墳群」があるところですから、巨木の保存・展示場所としては最適な場所ですね。皆さんも、巨木を見て、古墳時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
今のところ、巨木は、昨年8月に引き揚げられたまま、紀の川北岸、六十谷橋の東側の河川敷に置かれていますので、お間違えのないように!!
(文責:広報課 林 清仁)
ブログ記事には「今後専門家による調査がされる」とお伝えしていたところですが、和歌山県教育委員会が調査した結果、この巨木は何と古墳時代のものであることがでわかったそうです。これは、和歌山県財政課が発表した平成25年度当初予算・新政策の資料(PDFファイル, 20.2MB)の66ページに掲載されています。ファイルサイズが大きいので、66ページだけを抜き出してご紹介します。(画像をクリックすると拡大表示されます。)
この資料によれば、巨木はクスノキで、推定樹齢は約350年、西暦700年頃まで生育していたものだそうです。ということは、芽を出したのが西暦350年ぐらいですから、この木が青々と茂っていたのはまさに古墳時代ということになりますね。
大宝律令が制定されたのが西暦701年ですから、その頃に、この巨木は何らかの理由で死んでしまったのですね。通常ならば木は枯れると腐ってしまうはずですが、腐らずにほぼそのままの姿で見られるのはすごいですね。ひょっとしたら富山県にある魚津埋没林と同じように埋もれていたのが、一昨年の紀伊半島大水害の際の豪雨の力で掘り返されて、紀の川大堰のところまで流れてきたのかもしれません。そうやって考えてみると、この巨木はただの切り株ではなく、奇跡の巨木ということになり、歴史のロマンを感じますね。
さて、この巨木のこれからですが、防腐処理を施した上で、和歌山県立紀伊風土記の丘まで運ばれて、大切に保存・展示されることになったそうです。紀伊風土記の丘は、国の特別史跡に指定されている「岩橋千塚古墳群」があるところですから、巨木の保存・展示場所としては最適な場所ですね。皆さんも、巨木を見て、古墳時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
今のところ、巨木は、昨年8月に引き揚げられたまま、紀の川北岸、六十谷橋の東側の河川敷に置かれていますので、お間違えのないように!!
(文責:広報課 林 清仁)
Posted by 広報ブログ編集長 at 23:33│Comments(0)
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