2013年02月09日
東京にある和歌山探訪(1)~陸奥宗光ゆかりの場所を訪ねて
昨日(2/8)は会議で東京出張、遅くまで会議が続いたので、東京で1泊しました。今日(2/9)は土曜日で特に予定が入っていませんでしたので、折角上京したのだから、東京にある和歌山ゆかりの場所の訪問です。
昨年12月に和歌山県と明治大学の主催で行われた『陸奥宗光シンポジウム』については、以前このブログでも「陸奥宗光シンポジウム開催!【12/1 東京・明治大学】」とご紹介し、2/16には和歌山でもシンポジウムが開催されます。陸奥宗光は、和歌山が生んだ明治の偉人で、カミソリ大臣と呼ばれ、近代日本の黎明期に、外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るったことはあまりにも有名です。
以前、ブログで、その陸奥宗光が別邸として利用していた建物が東京に現存するという記事を読んだことがあったので、これはぜひ実際に見てみたいと思い訪ねてみました。場所は台東区根岸、山手線の鶯谷駅から東に歩いて5分ぐらいのところにあります。現在も人が住んでいてちゃんと使われているようです。正面からの写真はこちら。
http://kura3.photozou.jp/pub/694/1633694/photo/177072223.jpg" alt="" >
ご覧の通りとてもおしゃれな洋館建築です。以前の写真では、2階部分が完全に蔦に覆われていましたが、すっかり取り払われて、白く塗り替えられてすっきりした印象です。明治20年頃に三井家が陸奥宗光に献上したものだそうです。
玄関部分も1階、2階もすべて大きなガラス張りになっています。きっと外務大臣を務めた陸奥宗光好みの建築なんでしょうね。2階は20畳の大広間になっていて、外国人外交官を招いてパーティを開いたこともあるとのこと。
建物の裏側は蔦にびっしりと覆われています。きっと夏には緑に包まれるのでしょう。
それにしても、120年も前に建てられた木造建築が現在も現役で使われているのは驚きです。これからも大切に残しておきたい建物だなと感じました。
次に向かったのは、北区西ヶ原にある旧古河庭園です。古河庭園は京浜東北線・上中里駅から南に歩いて7分ぐらいの場所です。
実はここも元は陸奥宗光の別邸だった場所で、宗光の死後、邸宅を継いだ次男(古河潤吉)が古河財閥の養子になったため、古河家の所有となったのだそうです。その後、古河家3代目当主の古河虎之助が、大正3年(1914)に従来の用地は本宅用地とし、隣接地を買収して庭園としたとのこと。現存する邸宅はこの時に新築されたもので、陸奥宗光が使っていた建物は現存していません。
現在の建物は、鹿鳴館を設計した英国人ジョサイア・コンドルの設計によるものとのこと。非常に堂々とした作りですね。
旧古河庭園はバラの名所としても有名だそうで、邸宅のまわりにはさまざまな品種のバラの木が植えられていました。(冬なので咲いてはいませんでしたが…)
以上で、陸奥宗光ゆかりの地のご紹介はおしまいです。明治から大正にかけての熱気を感じさせられる散歩でした。
この後、私は歩いて文京区本駒込にある国指定特別名勝「六義園」に向かいましたが、こちらのレポートは『東京にある和歌山探訪(2)~和歌の浦を模した庭園「六義園」』をご覧ください。
(文責:広報課 林 清仁)
昨年12月に和歌山県と明治大学の主催で行われた『陸奥宗光シンポジウム』については、以前このブログでも「陸奥宗光シンポジウム開催!【12/1 東京・明治大学】」とご紹介し、2/16には和歌山でもシンポジウムが開催されます。陸奥宗光は、和歌山が生んだ明治の偉人で、カミソリ大臣と呼ばれ、近代日本の黎明期に、外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るったことはあまりにも有名です。
以前、ブログで、その陸奥宗光が別邸として利用していた建物が東京に現存するという記事を読んだことがあったので、これはぜひ実際に見てみたいと思い訪ねてみました。場所は台東区根岸、山手線の鶯谷駅から東に歩いて5分ぐらいのところにあります。現在も人が住んでいてちゃんと使われているようです。正面からの写真はこちら。
http://kura3.photozou.jp/pub/694/1633694/photo/177072223.jpg" alt="" >
ご覧の通りとてもおしゃれな洋館建築です。以前の写真では、2階部分が完全に蔦に覆われていましたが、すっかり取り払われて、白く塗り替えられてすっきりした印象です。明治20年頃に三井家が陸奥宗光に献上したものだそうです。
玄関部分も1階、2階もすべて大きなガラス張りになっています。きっと外務大臣を務めた陸奥宗光好みの建築なんでしょうね。2階は20畳の大広間になっていて、外国人外交官を招いてパーティを開いたこともあるとのこと。
建物の裏側は蔦にびっしりと覆われています。きっと夏には緑に包まれるのでしょう。
それにしても、120年も前に建てられた木造建築が現在も現役で使われているのは驚きです。これからも大切に残しておきたい建物だなと感じました。
次に向かったのは、北区西ヶ原にある旧古河庭園です。古河庭園は京浜東北線・上中里駅から南に歩いて7分ぐらいの場所です。
実はここも元は陸奥宗光の別邸だった場所で、宗光の死後、邸宅を継いだ次男(古河潤吉)が古河財閥の養子になったため、古河家の所有となったのだそうです。その後、古河家3代目当主の古河虎之助が、大正3年(1914)に従来の用地は本宅用地とし、隣接地を買収して庭園としたとのこと。現存する邸宅はこの時に新築されたもので、陸奥宗光が使っていた建物は現存していません。
現在の建物は、鹿鳴館を設計した英国人ジョサイア・コンドルの設計によるものとのこと。非常に堂々とした作りですね。
旧古河庭園はバラの名所としても有名だそうで、邸宅のまわりにはさまざまな品種のバラの木が植えられていました。(冬なので咲いてはいませんでしたが…)
以上で、陸奥宗光ゆかりの地のご紹介はおしまいです。明治から大正にかけての熱気を感じさせられる散歩でした。
この後、私は歩いて文京区本駒込にある国指定特別名勝「六義園」に向かいましたが、こちらのレポートは『東京にある和歌山探訪(2)~和歌の浦を模した庭園「六義園」』をご覧ください。
(文責:広報課 林 清仁)
Posted by 広報ブログ編集長 at 16:35│Comments(0)
│広報一般
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。