2012年07月10日
慈尊院の多宝塔が改築されました
九度山町にある、世界遺産高野山真言宗別格本山慈尊院の境内にある、多宝塔(県指定文化財)の立て替え工事が終わりました。
慈尊院の多宝塔は、寛永元年(1624年)の建立とされ、近世初期の大型の多宝塔として貴重な建造物です。今回の工事で色鮮やかによみがえりました。
慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。本尊の木造弥勒仏坐像は特によく知られ、国宝に指定されています。
また、弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてきた際、当時の高野山は女人禁制だったので、弘法大師のもとに行くことができず、この慈尊院で暮らしました。
慈尊院は、もとは現在の慈尊院から北100メートル、今の紀の川河川敷となっているあたりにありましたが、天文9年(1540年)の紀の川の洪水で大半が流され現在地に移転したものです。
しかし、弥勒堂だけは、当時から今の場所へ移してあったので流失をまぬがれました。国の重要文化財に指定されています。
子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬がたくさん奉納されていました。
また、昨年には、乳がん平癒を願う絵馬も奉納されています。
みなさま、是非九度山町の慈尊院におこしください
(文責:伊都振興局企画産業課 鍵本)
慈尊院の多宝塔は、寛永元年(1624年)の建立とされ、近世初期の大型の多宝塔として貴重な建造物です。今回の工事で色鮮やかによみがえりました。
慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。本尊の木造弥勒仏坐像は特によく知られ、国宝に指定されています。
また、弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてきた際、当時の高野山は女人禁制だったので、弘法大師のもとに行くことができず、この慈尊院で暮らしました。
慈尊院は、もとは現在の慈尊院から北100メートル、今の紀の川河川敷となっているあたりにありましたが、天文9年(1540年)の紀の川の洪水で大半が流され現在地に移転したものです。
しかし、弥勒堂だけは、当時から今の場所へ移してあったので流失をまぬがれました。国の重要文化財に指定されています。
子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬がたくさん奉納されていました。
また、昨年には、乳がん平癒を願う絵馬も奉納されています。
みなさま、是非九度山町の慈尊院におこしください
(文責:伊都振興局企画産業課 鍵本)
Posted by 伊都・橋本広報 at 11:07│Comments(2)
│観光・自然
この記事へのコメント
前回お訪ねした時は白衣をまとわれておりそのお姿を拝見すること叶いませんでしたが、第2回世界遺産セミナーに参加する際に近くを通りますからぜひともゆっくりと拝見いたしたく思います。
Posted by 抜井久司 at 2012年07月10日 12:06
抜井久司さま
コメントありがとうございます。
写真のとおり、多宝塔は美しくよみがえっています。
お越しの際には、ぜひご覧になってください。
コメントありがとうございます。
写真のとおり、多宝塔は美しくよみがえっています。
お越しの際には、ぜひご覧になってください。
Posted by 伊都・橋本広報 at 2012年07月11日 09:36
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