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2013年06月09日

6月30日 婚活イベント【北山村主催】

6月30日(日) 9:30~ 北山村主催の婚活イベント『村コン』が開催されますのでお知らせします。

 北山村では20歳以上独身男女の参加者を村の内外を問わず広く募集中です!! (男性30名、女性30名) 
6月25日追記、男女とも予定人数に達しため受付を終了しております


今回の婚活イベントにはなんと、
北山川筏下り 10:40~12:40
ランチバイキング 13:00~15:30
おくとろ温泉の入浴券 

 が付いています。 

  
参加費用ですが、
 男性:5,000円
 女性:3,000円
 となっています。

参加費用には、①筏下りの乗船料、②ランチバイキング、③おくとろ温泉の入浴料がすべて含まれていますので、かなりお得です!(筏下りは通常、大人6,000円です。ik_20) 

恋人募集中の20歳以上独身の方。この機会に北山村までちょっと冒険に行ってみませんか?
 
(写真は、平成25年5月3日の今年最初の筏下りの様子です。)

【集合場所・時間】
  和歌山県東牟婁郡北山村 道の駅おくとろ 午前9時30分集合。 
  送迎バスを希望する場合、下記の申込先で要予約。
  (送迎バスは三重県熊野市の山崎運動公園を午前8時30分発。) 

【ご用意頂くもの】:筏下りでは、ひざから下くらいが濡れますので、サンダル、着替え、タオルなど。

【問合せ・申込先】北山村観光センター 
      :電話 0735-49-2324 
      :メール jabara@kitayamamura.net 
      :お二人のお名前、年齢、性別、代表者様のご住所&携帯番号をお伝えください。
       (天候等にるり中止または延期のご連絡のため必要です。)
      : 2名一組の友達同士等での参加が条件です。女性2人一組、男性2人一組で参加申込みしてくださいね。

【申込締切】 平成25年6月25日(火) 17時まで


【集合場所 道の駅おくとろの地図】

大きな地図で見る



◆和歌山県では、
 少子化の大きな要因の1つとされる「未婚化・晩婚化」の流れを変えるため、平成25年度から『わかやま婚活応援隊』を募集し、県内様々な地域における出会いの場の創出を行い、全県的な結婚サポート体制づくりを推進します。
和歌山県が運営する『わかやま出会いの広場』(県が運営するサイト)において、県内各地の婚活イベント情報が掲載されておりますので一度ご覧下さい。(県主催のものと、婚活応援隊主催のものがこちらには掲載されています。)


(文責 東牟婁振興局 企画産業課 吉中 秀郎)   

Posted by くまくま at 21:25Comments(0)イベント・地域振興

2013年06月09日

東京の紀州散策(7)紀伊國屋文左衛門を訪ねて~江東区深川周辺

東京の紀州散策、今回訪れたのは、紀伊國屋文左衛門の足跡が残る、江東区深川周辺です。

紀伊國屋文左衛門といえば、元禄時代に活躍した豪商で、「紀文大尽」と呼ばれていました。紀州・湯浅の出身と伝えられていまが、その実像はあまり伝えられていません。20代の頃、嵐をついて紀州のみかんを江戸に運び大儲けをしたという「みかん船伝説」は特に有名ですが、これも確かなことはわからないそうです。
しかし、材木商人として巨万の富を築いたことはどうやら事実のようで、深川周辺には紀伊國屋文左衛門ゆかりの場所が結構ありますので、そんな場所を本日散策してきました。

まず向かったのは、江東区清澄にある「清澄庭園」です。場所は地下鉄清澄白河駅を下りて西に少し歩いたところにあります。


実はこの庭園の一部は紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。その後大名屋敷となり庭園もあったようですが、現在の庭園の形を作ったのは、三菱財閥の祖・岩崎弥太郎です。岩崎弥太郎は、明治以降荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」を開きました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められて、明治の庭園を 代表する「回遊式林泉庭園」が完成したのだそうです。関東大震災で大きな被害を受けましたが、破損の少なかった東側半分(現庭園部分)が公園用地として東京市に寄付され、昭和7年に「清澄庭園」として公開されました。また、西側も昭和52年に清澄公園として追加開園されています。

しかし、東京を散歩すると必ずといっていいほど岩崎弥太郎に出会います。今年2月に『東京にある和歌山探訪(2)~和歌の浦を模した庭園「六義園」』でご紹介した「六義園」は、徳川綱吉の側用人として知られる柳沢吉保の大名庭園ですが、この庭園も岩崎弥太郎が購入し別邸としたものでした。紀伊國屋文左衛門とは対照的な人生ですね。ひょっとしたら紀州と土佐の気質の違いなのかな、なんて考えさせられました。

庭園の中はきれいに整備されています。紀伊國屋文左衛門を偲ぶものはもちろん何もありませんが、この庭園のどこかに屋敷があったのだろうと想像しながら歩きました。浜離宮や旧芝離宮などに比べると、庭園のまわりに高層ビルがない分、とても落ち着いた雰囲気です。


とはいっても、庭園からは、東京スカイツリーが見えます。やはり東京です。


ちょうど今は花菖蒲やあじさいがきれいに咲いていました。6月15日(土)~23日(日)までの間は「花菖蒲と遊ぶ」という催しが開催されるそうです。1週間前でしたが、十分きれいでした。


清澄庭園を後にして、次に向かったのは、紀伊國屋文左衛門のお墓のある常等院です。


常等院清澄庭園のすぐ東側にあり、歩いて5分ぐらいでしょうか。行ってみると、文左衞門のお墓のある一角には、黄色いテープが貼ってあって、立入禁止の掲示も。グーグル・ストリートビューの2010年1月の写真(下)では、まだお花をお供えしているのがわかります。



「紀文会」と書かれた門柱の側面には、「和歌山県知事 小野真次」の文字が。小野知事と言えば、和歌山県の初代公選知事で5期20年務めて、1967年に引退しています。ですから46~66年前に整備されたものということになります。そろそろ修理が必要ということなのでしょう。


奥には大きな「紀伊國屋文左衛門の碑」がありますが、これはお墓ではなく顕彰碑です。


文左衞門のお墓は、碑の左下にある小さなものです。写真が小さくて見にくいですが、墓石には「紀伊國屋」と書かれています。一代で富を使い果たした文左衞門らしいお墓ですね。


深川にはもう一つ紀伊國屋文左衛門ゆかりの場所があります。それは富岡八幡宮で、地下鉄門前仲町駅から歩いて5分ぐらいの所にあります。


富岡八幡宮は、深川八幡とも呼ばれ、日本一の黄金の御輿があることで知られています。実は富岡八幡宮には紀伊國屋文左衛門が奉納したとされる総金張りの「八幡造り」「神明造り」「春日造り」の宮神輿が3基もあったのだそうですが、残念ながら関東大震災で焼失してしまいました。現在の黄金の大神輿は、平成3年に佐川急便の佐川清会長(当時)が奉納したものです。その大きさと豪華さに圧倒されてしまいます。


晩年、紀伊國屋文左衛門は深川八幡の一の鳥居付近に居を構えていたそうです。一の鳥居は現在の「門前仲町一丁目」交差点付近にあったのだそうですが、当時を偲ぶものは今は何一つ残っていません。当たり前ですね。


以上、紀伊國屋文左衛門を訪ねて、深川周辺をうろついたレポートです。残念ながら直接文左衞門につながるものはお墓以外には見つかりませんでした。やはり300年という年月は相当な期間なのでしょう。しかし、ゆかりのものは残っていなくても、今日に「紀伊國屋文左衛門」という名前を残しているのですから、やはり私たち和歌山県民のヒーローなのでしょうね。

(文責:東京事務所 林 清仁)
  
Posted by 広報ブログ編集長 at 20:54Comments(0)東京事務所通信