2013年04月20日
今晩深夜BS朝日「水彩物語」で田辺市『請川のお滝さん』紹介!
今週の和歌山県関連テレビ番組の追加が1件ありますのでご紹介します。
4/21(日)1:25-1:30 BS朝日の「水彩物語」
関東地方ではテレビ朝日で4/13に放送されている番組ですが、BS朝日では今晩深夜の放送になります。今回の放送で紹介されるのは田辺市本宮町にある「請川のお滝さん」です。番組表には、「静寂な森の中に佇む滝。流れ落ちる水しぶきは日光を受けて、きらきらと“窃黄"に輝くのであった。」と紹介されています。私も行ったことがないので、ぜひ見てみたいと思います。皆さんもご覧ください!!
(写真は「水彩物語」ホームページから転載。)

また和歌山県関連テレビ番組を発見したら、その都度ご報告いたします。 もしみなさんも和歌山県関連テレビ番組を見つけられたら、コメント欄で報告してください!お待ちしています。
(文責:東京事務所 林 清仁)
4/21(日)1:25-1:30 BS朝日の「水彩物語」
関東地方ではテレビ朝日で4/13に放送されている番組ですが、BS朝日では今晩深夜の放送になります。今回の放送で紹介されるのは田辺市本宮町にある「請川のお滝さん」です。番組表には、「静寂な森の中に佇む滝。流れ落ちる水しぶきは日光を受けて、きらきらと“窃黄"に輝くのであった。」と紹介されています。私も行ったことがないので、ぜひ見てみたいと思います。皆さんもご覧ください!!
(写真は「水彩物語」ホームページから転載。)

また和歌山県関連テレビ番組を発見したら、その都度ご報告いたします。 もしみなさんも和歌山県関連テレビ番組を見つけられたら、コメント欄で報告してください!お待ちしています。
(文責:東京事務所 林 清仁)
2013年04月20日
今晩テレビ東京「土曜スペシャル」に白浜リゾートホテル登場!
今週の和歌山県関連テレビ番組の追加が1件ありますのでご紹介します。
4/20(土)18:30-20:54 テレビ東京(関東広域圏)ほかの「土曜スペシャル」
本日の放送は、「必見!GWでも1万円以下の人気宿」。番組ではゴールデンウイーク期間中の人気宿を8軒厳選し大公開します。和歌山からは、南紀白浜の絶景リゾートホテルが登場します。さて、どのホテルが紹介されるのか楽しみですね。白浜ですから、もちろんアドベンチャーワールドのパンダの親子も紹介されますよ!
この放送は、テレビ東京のほか、テレビせとうち(岡山・香川)・岐阜放送(岐阜)・びわ湖放送(滋賀)・奈良テレビ(奈良)・テレビ和歌山(和歌山)でも同時ネットされますので、放送地域の皆さんはぜひご覧ください!!
また和歌山県関連テレビ番組を発見したら、その都度ご報告いたします。 もしみなさんも和歌山県関連テレビ番組を見つけられたら、コメント欄で報告してください!お待ちしています。
(文責:東京事務所 林 清仁)
4/20(土)18:30-20:54 テレビ東京(関東広域圏)ほかの「土曜スペシャル」
本日の放送は、「必見!GWでも1万円以下の人気宿」。番組ではゴールデンウイーク期間中の人気宿を8軒厳選し大公開します。和歌山からは、南紀白浜の絶景リゾートホテルが登場します。さて、どのホテルが紹介されるのか楽しみですね。白浜ですから、もちろんアドベンチャーワールドのパンダの親子も紹介されますよ!
この放送は、テレビ東京のほか、テレビせとうち(岡山・香川)・岐阜放送(岐阜)・びわ湖放送(滋賀)・奈良テレビ(奈良)・テレビ和歌山(和歌山)でも同時ネットされますので、放送地域の皆さんはぜひご覧ください!!
また和歌山県関連テレビ番組を発見したら、その都度ご報告いたします。 もしみなさんも和歌山県関連テレビ番組を見つけられたら、コメント欄で報告してください!お待ちしています。
(文責:東京事務所 林 清仁)
2013年04月20日
東京の紀州散策(1) 千代田区紀尾井町の紀州藩屋敷跡
4月の人事異動で和歌山県東京事務所勤務となって3週間目を迎えます。初めての仕事にも少しずつ慣れ、昼休みに事務所のまわりを散歩することができましたので、レポートします。
東京事務所は千代田区平河町にありますが、すぐ西隣が「紀尾井町」という地名です。紀尾井町は、江戸時代「紀伊徳川家」「尾張徳川家」「彦根井伊家」の3つの大名屋敷があったことから、1文字ずつとって名付けられた地名だそうです。現在は、紀伊徳川家上屋敷跡は、旧赤坂プリンスホテルや文藝春秋本社などに、尾張徳川家中屋敷跡は上智大学に、近江彦根井伊家中屋敷跡はホテルニューオータニとなっています。
goo地図には、江戸古地図と現代の地図を比較するサービスがあります。画像左側が現在の紀尾井町となります。3つの大名屋敷が大きな面積を占めていることがおわかりいただけると思います。
(画像をクリックするとgoo古地図にリンクします。)

散歩をしたのは4月15日(月)。都道府県会館を出発し、左回りで旧紀州藩屋敷跡を巡りました。まず目に飛び込んでくるのが旧赤坂プリンスホテル新館の解体工事です。地上40階建てだった高層ビルが、最新の解体工法によりまるでだるま落としのように低くなっています。現在は7階建てぐらいになっています。この敷地は、新たにホテル・オフィス・商業施設・タワーマンションを備えた用地として再開発されるそうです。

こちらは、赤坂プリンスホテル旧館として使われていた旧李王家邸です。韓国皇太子として生まれ、朝鮮併合後には日本の皇族に準じた扱いを受けていた李垠の邸宅として昭和5年に造営された建物だそうです。「曳家工事」と書かれていましたので、場所を少し移動して文化財として保存されるのでしょう。

こちらは、国家公務員宿舎「紀尾井町住宅」へと続く並木道。紀州藩邸だった頃にも、このような森があったのでしょうね。都会のど真ん中にもこんな森があるのが東京の不思議なところです。

ここは紀尾井町交差点。地下鉄麹町駅のすぐ近くです。昼休みなので、多くのビジネスマンが歩いています。

紀尾井町交差点を左折してなだらかな坂を下りていくと、向こうに「紀尾井坂」という坂が見えます。写真右側が上智大学、左側がホテルニューオータニですので、尾張と井伊の間の坂ですね。江戸時代から紀尾井坂と呼ばれていたそうです。

紀伊家、井伊家の屋敷境が谷になっていて、江戸時代、紀伊家屋敷内に霊水(湧水)が湧き出ていたことから、清水谷と呼ばれています。現在は谷は道路となり、八重桜の並木となっています。もう葉桜になっていました。

こちらが清水谷公園。小鳥がさえずり、ビジネスマンがお昼休みを過ごす都会のオアシスです。また園内には、明治11年の「紀尾井坂の変」で暗殺された大久保利通公を哀悼する石碑が建立されています。

散歩も終わりに近づき、ようやく紀州藩屋敷跡の石碑を発見しました。弁慶堀に架かる弁慶橋のたもとの石垣の上にあります。
現在は旧赤坂プリンスホテル解体工事のため、後ろは工事用の壁となっていますが、確かに「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」と書かれています。

右側の看板にはこのように記されています。
最後に弁慶橋から見た弁慶堀と旧赤坂プリンスホテルの写真です。右端にちらりと見えるのが東京事務所のある都道府県会館です。

これで紀尾井町の紀州藩屋敷跡を一周したことになります。実は、紀尾井町以外にも、紀州藩の江戸屋敷はあちこちにあったそうです。詳しくは、和歌山県社会経済研究所のホームページに「紀州 in 東京(紀州藩江戸屋敷)」という詳細なレポートが掲載されています。
これによれば、現在東宮御所や迎賓館、赤坂御苑などのある広大な「赤坂御用地」は、紀州藩赤坂邸の敷地がそのまま使われているのだそうです。こんな風に東京には、紀州藩ゆかりの土地があちこちにあるのを知り、他のところも行ってみたいなと思いました。
折角東京に来たので、休日には紀州や和歌山のゆかりの場所をたずねて、あちこち散歩してみたいと思います。またレポートしますので、お楽しみに!!
(文責:東京事務所 林 清仁)
東京事務所は千代田区平河町にありますが、すぐ西隣が「紀尾井町」という地名です。紀尾井町は、江戸時代「紀伊徳川家」「尾張徳川家」「彦根井伊家」の3つの大名屋敷があったことから、1文字ずつとって名付けられた地名だそうです。現在は、紀伊徳川家上屋敷跡は、旧赤坂プリンスホテルや文藝春秋本社などに、尾張徳川家中屋敷跡は上智大学に、近江彦根井伊家中屋敷跡はホテルニューオータニとなっています。
goo地図には、江戸古地図と現代の地図を比較するサービスがあります。画像左側が現在の紀尾井町となります。3つの大名屋敷が大きな面積を占めていることがおわかりいただけると思います。
(画像をクリックするとgoo古地図にリンクします。)

散歩をしたのは4月15日(月)。都道府県会館を出発し、左回りで旧紀州藩屋敷跡を巡りました。まず目に飛び込んでくるのが旧赤坂プリンスホテル新館の解体工事です。地上40階建てだった高層ビルが、最新の解体工法によりまるでだるま落としのように低くなっています。現在は7階建てぐらいになっています。この敷地は、新たにホテル・オフィス・商業施設・タワーマンションを備えた用地として再開発されるそうです。

こちらは、赤坂プリンスホテル旧館として使われていた旧李王家邸です。韓国皇太子として生まれ、朝鮮併合後には日本の皇族に準じた扱いを受けていた李垠の邸宅として昭和5年に造営された建物だそうです。「曳家工事」と書かれていましたので、場所を少し移動して文化財として保存されるのでしょう。

こちらは、国家公務員宿舎「紀尾井町住宅」へと続く並木道。紀州藩邸だった頃にも、このような森があったのでしょうね。都会のど真ん中にもこんな森があるのが東京の不思議なところです。

ここは紀尾井町交差点。地下鉄麹町駅のすぐ近くです。昼休みなので、多くのビジネスマンが歩いています。

紀尾井町交差点を左折してなだらかな坂を下りていくと、向こうに「紀尾井坂」という坂が見えます。写真右側が上智大学、左側がホテルニューオータニですので、尾張と井伊の間の坂ですね。江戸時代から紀尾井坂と呼ばれていたそうです。

紀伊家、井伊家の屋敷境が谷になっていて、江戸時代、紀伊家屋敷内に霊水(湧水)が湧き出ていたことから、清水谷と呼ばれています。現在は谷は道路となり、八重桜の並木となっています。もう葉桜になっていました。

こちらが清水谷公園。小鳥がさえずり、ビジネスマンがお昼休みを過ごす都会のオアシスです。また園内には、明治11年の「紀尾井坂の変」で暗殺された大久保利通公を哀悼する石碑が建立されています。

散歩も終わりに近づき、ようやく紀州藩屋敷跡の石碑を発見しました。弁慶堀に架かる弁慶橋のたもとの石垣の上にあります。
現在は旧赤坂プリンスホテル解体工事のため、後ろは工事用の壁となっていますが、確かに「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」と書かれています。

右側の看板にはこのように記されています。
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡
この一帯には、江戸時代に紀伊和歌山藩徳川家の麹町邸がありました。明暦3年(1657)の大火の後、この地を拝領しました。
紀伊徳川家は、徳川家康の十男頼宣に始まる家で、尾張家(九男義直)、水戸家(十一男頼房)と共に御三家と称されました。頼宣は、慶長8年(1603)常陸水戸藩主、ついで慶長14年(1609)駿河府中藩主を経て、元和5年(1619)に紀伊和歌山藩主となり、紀伊国と伊勢国の一部を領地としました。紀伊徳川家は、以後、14代にわたって明治維新まで続きましたが、その中で、8代将軍吉宗と14代将軍家茂は、藩主から将軍の座についています。石高はほぼ55万5000石でした。
明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました。
最後に弁慶橋から見た弁慶堀と旧赤坂プリンスホテルの写真です。右端にちらりと見えるのが東京事務所のある都道府県会館です。

これで紀尾井町の紀州藩屋敷跡を一周したことになります。実は、紀尾井町以外にも、紀州藩の江戸屋敷はあちこちにあったそうです。詳しくは、和歌山県社会経済研究所のホームページに「紀州 in 東京(紀州藩江戸屋敷)」という詳細なレポートが掲載されています。
これによれば、現在東宮御所や迎賓館、赤坂御苑などのある広大な「赤坂御用地」は、紀州藩赤坂邸の敷地がそのまま使われているのだそうです。こんな風に東京には、紀州藩ゆかりの土地があちこちにあるのを知り、他のところも行ってみたいなと思いました。
折角東京に来たので、休日には紀州や和歌山のゆかりの場所をたずねて、あちこち散歩してみたいと思います。またレポートしますので、お楽しみに!!
(文責:東京事務所 林 清仁)