2011年05月12日
危機意識を忘れない。。
チーム県民の友Kです。
現在、和歌山県から東日本大震災の被災地への人的支援として県職員7名、市町村職員約120名の方々が5月22日(日)までの期間、交代で派遣されています。
派遣先は岩手県下閉伊郡山田町の避難所で、業務内容は救援物資の仕分け作業や義援金受付業務、現地に散在するアルバム等の整理とのこと。大変な業務を自ら志願して現地に赴き活動される多くの職員に脱帽の思いであります。
そのメンバーの被災地への出発式が先日4月29日(金)、知事や和歌山市長出席のもと、県庁で行われました。取材を兼ねて、式に立会いましたが、その際、震災当日のことが思い出されましたので記したいと思います。
平成23年3月11日。私はその時、東京都立川市にいた。自治体職員として、総務省が運営する研修機関「自治大学校(東京都立川市)」に3ヶ月間(1月~3月)の日程で研修生として参加していたのだ。
地震発生の時間、たまたま自習時間であったため、講義室に隣接する寮にて課題をこなすべく自室にこもって机に向かっていた。
その時に大きな揺れが…。
立川市は震度5強。揺れた時間は体感時間で3~4分だったと記憶している。初めは大したことがないだろうと自室で揺れがおさまるのを待っていたものの、ますます横揺れが激しくなり、約1分ほど経過した頃、阪神大震災以来の大きな揺れに身の危険を感じ、同じフロアーの友人とスリッパのまま階段を使って屋外へ飛び出ることにした。
屋外に出ても揺れは一向におさまる気配を見せず、同じく屋外に飛び出た研修生仲間とそのまま2分間程度(あくまでも感覚ですが…)、今にも窓ガラスが窓枠からはずれそうな勢いで揺れている窓を眺めていたのを覚えています。
その時考えたのは、この揺れは間違いなく「東海・南海地震」であろうということ。
3分以上の大きな横揺れが続くのは、直下型地震ではなく、海溝型地震であり津波を伴う地震であるということが一般的に言われていたため、故郷和歌山が危ない!という不安で一杯になったのを昨日のように覚えている。
揺れがおさまった後、しばらくして震源地や地震の規模がわかり、東海・南海地震ではなかったこと、和歌山市に被害は無かったことなどの情報が入ってきた。
しかし、我々研修生129名は、全国各地からの集まりであり、当然ながら仲間の中に被災地の出身者がいた。
地震直後から携帯電話やメールが通じなくなり、地元との連絡手段が完全に閉ざされてしまった。ようやく、その日の夕方から固定電話での通話が可能となったことで、こぞって寮1階にある公衆電話に群がり地元の安否確認を行った。しかし、被災地出身の仲間については、どうしても家族と連絡が取れないということであった。
大津波が街を襲う映像が繰り返しテレビで放映され、今すぐにでも地元に帰りたいと思う気持ちとは裏腹に東京の公共交通手段が全て停止したことで、非常に便利な世となり人間にとって極めて住みよい世界を造り出したとはいうものの、災害の恐ろしさ、大都会の脆弱さをまざまざと見せつけられた。
翌日の午後になって、ようやく間引き運転という形で公共交通機関が復帰し、即座に地元に帰った仲間から家族全員無事だった(避難所で会えた)ことを聞かされたのは、それから丸1日経過後のことであった。
今回の地震で、幸いにも関西圏は被害がなかったことで胸をなでおろし、あの大地震はブラウン管(?)の向こう側での出来事という感覚を持たれる方も多いと聞くが、私の場合、実際に大きな揺れを経験したこと、身近に被災者がいたことなどから、どうしても他人事とは思えません。
同じ日本人が被災し、2ヶ月を経過した現在でも不便な生活を強いられている現状を見て、何か出来ることはないかという気持ちで一杯です。
被災地の完全復興には、かなりの時間と経費を要し、また、これからも次から次へと新たな課題が浮上してくるのは容易く想像できる。しかし、なんとか歯を食いしばって、難局を乗り越えていただきたいと心から願います。
和歌山県人にとっても『明日はわが身』。
私自身も危機意識を決して忘れず、これからの役所人生を過ごしていかなければ、と出発式を見ながら感じたものです。
現在、和歌山県から東日本大震災の被災地への人的支援として県職員7名、市町村職員約120名の方々が5月22日(日)までの期間、交代で派遣されています。
派遣先は岩手県下閉伊郡山田町の避難所で、業務内容は救援物資の仕分け作業や義援金受付業務、現地に散在するアルバム等の整理とのこと。大変な業務を自ら志願して現地に赴き活動される多くの職員に脱帽の思いであります。
そのメンバーの被災地への出発式が先日4月29日(金)、知事や和歌山市長出席のもと、県庁で行われました。取材を兼ねて、式に立会いましたが、その際、震災当日のことが思い出されましたので記したいと思います。
平成23年3月11日。私はその時、東京都立川市にいた。自治体職員として、総務省が運営する研修機関「自治大学校(東京都立川市)」に3ヶ月間(1月~3月)の日程で研修生として参加していたのだ。
地震発生の時間、たまたま自習時間であったため、講義室に隣接する寮にて課題をこなすべく自室にこもって机に向かっていた。
その時に大きな揺れが…。
立川市は震度5強。揺れた時間は体感時間で3~4分だったと記憶している。初めは大したことがないだろうと自室で揺れがおさまるのを待っていたものの、ますます横揺れが激しくなり、約1分ほど経過した頃、阪神大震災以来の大きな揺れに身の危険を感じ、同じフロアーの友人とスリッパのまま階段を使って屋外へ飛び出ることにした。
屋外に出ても揺れは一向におさまる気配を見せず、同じく屋外に飛び出た研修生仲間とそのまま2分間程度(あくまでも感覚ですが…)、今にも窓ガラスが窓枠からはずれそうな勢いで揺れている窓を眺めていたのを覚えています。
その時考えたのは、この揺れは間違いなく「東海・南海地震」であろうということ。
3分以上の大きな横揺れが続くのは、直下型地震ではなく、海溝型地震であり津波を伴う地震であるということが一般的に言われていたため、故郷和歌山が危ない!という不安で一杯になったのを昨日のように覚えている。
揺れがおさまった後、しばらくして震源地や地震の規模がわかり、東海・南海地震ではなかったこと、和歌山市に被害は無かったことなどの情報が入ってきた。
しかし、我々研修生129名は、全国各地からの集まりであり、当然ながら仲間の中に被災地の出身者がいた。
地震直後から携帯電話やメールが通じなくなり、地元との連絡手段が完全に閉ざされてしまった。ようやく、その日の夕方から固定電話での通話が可能となったことで、こぞって寮1階にある公衆電話に群がり地元の安否確認を行った。しかし、被災地出身の仲間については、どうしても家族と連絡が取れないということであった。
大津波が街を襲う映像が繰り返しテレビで放映され、今すぐにでも地元に帰りたいと思う気持ちとは裏腹に東京の公共交通手段が全て停止したことで、非常に便利な世となり人間にとって極めて住みよい世界を造り出したとはいうものの、災害の恐ろしさ、大都会の脆弱さをまざまざと見せつけられた。
翌日の午後になって、ようやく間引き運転という形で公共交通機関が復帰し、即座に地元に帰った仲間から家族全員無事だった(避難所で会えた)ことを聞かされたのは、それから丸1日経過後のことであった。
今回の地震で、幸いにも関西圏は被害がなかったことで胸をなでおろし、あの大地震はブラウン管(?)の向こう側での出来事という感覚を持たれる方も多いと聞くが、私の場合、実際に大きな揺れを経験したこと、身近に被災者がいたことなどから、どうしても他人事とは思えません。
同じ日本人が被災し、2ヶ月を経過した現在でも不便な生活を強いられている現状を見て、何か出来ることはないかという気持ちで一杯です。
被災地の完全復興には、かなりの時間と経費を要し、また、これからも次から次へと新たな課題が浮上してくるのは容易く想像できる。しかし、なんとか歯を食いしばって、難局を乗り越えていただきたいと心から願います。
和歌山県人にとっても『明日はわが身』。
私自身も危機意識を決して忘れず、これからの役所人生を過ごしていかなければ、と出発式を見ながら感じたものです。
2011年05月12日
新米課長日記(2011/5/12)
県議会5月臨時会開会
選挙後はじめてとなる臨時議会が開会しました。
県庁では、和歌山市と違い、各課執務室のテレビでライブ中継を見られるのですが、臨場感を味わうため議会傍聴席に陣取りました。
傍聴席にいると、マイクでは拾えない議員のつぶやきなども耳に入ってきて興味深いです。
何人かの議員のブログなどを拝見すると、当選を重ねている方でも最初の議会は緊張することや、議席が変わるので眺めも変わり新鮮な気持ちになるとの書き込みがされていました。
臨時議会の会期は、17日までの6日間。
会期中、正・副議長選挙や各常任委員会の選任、関西広域連合議会の議員選出、知事専決処分報告の採決などが行われます。
夕方、知事室へ。
短時間で終わる報告モノでしたが、終了間際に、この間からいただいている新米課長への宿題の件に話題が移り、たくさんヒントがもらえました。
「どうだ、わかったか?」と問われ、苦し紛れ?に口から出た答えが「正解!」
久々?に気分良く、知事室から出てきました。
明日は、県庁に「ミシュランマン」がやってきます。
「こうやくん」もお出迎えしてくれて、知事との3ショットがメディアを賑わせてくれるかな。
選挙後はじめてとなる臨時議会が開会しました。
県庁では、和歌山市と違い、各課執務室のテレビでライブ中継を見られるのですが、臨場感を味わうため議会傍聴席に陣取りました。
傍聴席にいると、マイクでは拾えない議員のつぶやきなども耳に入ってきて興味深いです。
何人かの議員のブログなどを拝見すると、当選を重ねている方でも最初の議会は緊張することや、議席が変わるので眺めも変わり新鮮な気持ちになるとの書き込みがされていました。
臨時議会の会期は、17日までの6日間。
会期中、正・副議長選挙や各常任委員会の選任、関西広域連合議会の議員選出、知事専決処分報告の採決などが行われます。
夕方、知事室へ。
短時間で終わる報告モノでしたが、終了間際に、この間からいただいている新米課長への宿題の件に話題が移り、たくさんヒントがもらえました。
「どうだ、わかったか?」と問われ、苦し紛れ?に口から出た答えが「正解!」
久々?に気分良く、知事室から出てきました。
明日は、県庁に「ミシュランマン」がやってきます。
「こうやくん」もお出迎えしてくれて、知事との3ショットがメディアを賑わせてくれるかな。